こんにちは!『えでゅあ』です。
前回からの続きです。一向に何がいやになってしまい、不登校になっているのか全く分からない息子に対して、自問自答を繰り返す毎日を送っています。前回の記事はこちらです。
先日はついに卒業式を終えました!息子も無事当日は参加することができました。親としては、「最後は出席してほしい」と強く願い前日は夜眠りについていたのでほんとによかった。
出席当日は妻と私の二人で出席、式が始まるのをドキドキしながら気づけば保護者の中でほぼ一番に学校へ並んでいました。
そして、実際に卒業式が始まり、卒業生が入場してきました。その中に息子の姿を見た時には、言葉に表現することが難しい気持ち、ただハッキリしていたことは息子自身がこの選択をしたこと。強制的に参加しているのではなく、自主的に参加できていたことに対して、大きな喜びがありました。
この半年間は心理についてひたすら学んできました。
・どうすれば学校へ行けるようになるだろう。
・どうすれば行きたいと思えるようになるだろう。
・親として何ができるだろう。
・本人は何を望んでいるのだろう。
ただ、分かったことは私自身ができることと、息子が学校へ行けるか、行きたいと思えるか。というような行動まではコントロールできないということでした。そもそもコントロールするという発想自体が誤りであったと気づけました。
私が起こそうと願い行動すること、これは私の「主観」です。これはあくまで「私」をコントロールすることはできます。ただ、当然私に主観があるように息子にも主観があります。当たり前だと思うかもしれません。でも、慌ただしい日常を過ごしているとその当たり前が見えなくなっていることが多々あったことに気づきます。
やりたくないと言っていた夏休みにプールへ無理矢理連れて行ったけど、入りたくないと拒む息子に対して、どうにか一緒に楽しみたいという私の主観を強くぶつけコントールしようとしたこともありました。結局息子は断固として入らず、下の子供達と2時間遊び、その間息子はずっとベンチに座っていた、そんなこともありました。
いまの私なら「これは私の主観だから伝えただけだから、後どうするかは決めてね。」
そう伝えることがお互いの主観を尊重し、息子にとっても良かったのだと分かります。
「自分で選んで決める」
それが最も人が行動するために必要なことです。嫌々続けたとしてもそれはいつかきっと息子のように心の支障をきたします。
学校教育では「我慢(何でもやる)」「苦手の克服(何でもできるようになる)」を「成長」だと伝えています。ただ、こんな環境で6年間の小学校生活を送ったとしたら、その子が持つ本来の「自主性」や「主観」、「好奇心」も奪われていってしまうように感じます。また、その教育路線を私たちも経験してきているため、「正しい」と思っていたのも確かです。でも元々違う性格の子どもたちがロボットのように同じようになっていくのは何か違うのではと思います。教育指針で評価される部分が目立っていれば当然評価される。指針にそぐわない部分が目立っていると評価されない。そんな環境がこれからも続くのは本当に疑問です。
例えば、協調性がない。集団で行動できない。そんな子が居たとすれば、きっと評価されません。でも裏を返せば、「集団で行動できない。だからこそ一人でも行動できる」とも取ることができます。
その性格は直すべき対象なのでしょうか。
中学校へ行っても続くこの義務教育の中でせめて家庭にいる間だけでも本来の持つそれぞれの個性を尊重し、大切にすること。学校教育はあくまで指針であって全てを取り入れる必要はないこと。自分の長所を潰すようなことは絶対にしないこと。短所を直すのではなく、長所で補うことや、得意な人へ頼ること。そういった世界観を子どもたちには伝えていきたいと思います。
来月から中学校へ行く息子がこのまま変わらないのか、変わるのか。これも本人が決める選択です。私にできることは全力で彼を応援すること。自分の主観は伝えるけど押し付けないこと。そのことは守っていこうと思います。今回が不登校をテーマにした最終回になるかもしれません。ならないかもしれません。来月からもどうなるか楽しみにしながら過ごします。
ほんとにどうなるんでしょう!??笑
今日の息子への一言
「改めて卒業おめでとう!これからも続く義務教育の中で自分が大切にしている主観を必ず守りながら興味のあることを見つけてください。応援してます!」
家族のことで悩まれている方、同じように不登校で悩まれている方に少しでも共感やお役に立てると幸いです。
それでは。。。続きはまた!
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次回も気が向くままに
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