こんにちは!『えでゅあ』です。
前回からの続きです。一向に何がいやになってしまい、不登校になっているのか全く分からない息子に対して、自問自答を繰り返す毎日を送っています。前回の記事はこちらです。
最近の息子の傾向として「やりたいこと」と「やりたくないこと」がはっきりしてきていることを感じています。この「やりたくないこと」というものは、あまり内容に興味がない「授業」を指しています。
本人が興味がないとは言っていませんが、算数はするけど、他の科目はやらない状態です。日本の義務教育では「苦手を克服し平均を目指す。そして、そこから更に得意なものを伸ばす。」わたしもそういった環境で育ってきたように感じています。海外での教育とはどういったものなのか、調べてみました。日本と比較して気になった特徴としては以下のとおりです。
・生徒ごとに自主性と創造性を重視している。
→標準化されたテストが少ない。
・小規模なクラスで個々に合わせた指導が行われている。
→それぞれの興味や強みを伸ばすことに充填を置いている。
・生徒の能力に応じた教育コースに分けられている。
→標準化されていない。教育の柔軟性が高い
・生徒中心の教育が行われている。
→自主性やチームワークを重視している。生徒が自分たちで学びを深める。
これらの先進的な国々と比較した場合、「標準化」されたものではなく、生徒に合わせた「多様性」を重視されていることがポイントだと思います。
ここで、ChatGPTを用いて日本の教育について調べてみました。その結果は以下のとおりです。
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歴史的背景:
- 近代化の過程で、国家としての統一性と効率性を重視するため、全国的に統一された教育制度が導入されました。
- 明治時代以降、国家統合の手段として教育が利用され、標準化されたカリキュラムが全国的に施行されました。
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社会的均質性の追求:
- 日本の社会はしばしば均質性を重視し、集団内の調和を大切にする文化があります。
- 教育においても、全ての生徒が同じ基準に従い、同じ知識を共有することが望まれる傾向にあります。
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試験中心の教育システム:
- 大学進学や就職において、入試や資格試験の結果が重要な役割を果たすため、試験に向けた学習が重視されがちです。
- 標準化されたテストは、客観的で公平な評価方法として広く受け入れられています。
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教育に対する社会的期待:
- 社会全体として、学校教育に一定の品質と均一性を求める傾向があります。
- 教育の均等な提供を通じて、社会的機会の平等を実現しようとする考え方が根強いです。
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教育改革への抵抗:
- 新しい教育方法やカリキュラムの導入に対しては、実施面での困難や既存の価値観との衝突など、さまざまな障壁が存在します。
- 既存のシステムに慣れ親しんだ教育関係者や保護者からの抵抗もあることが、変化を遅らせる一因となっています。
これらの要因により、標準化された教育が長年にわたって維持されてきているようです。ただ、これは個人的に高度経済成長時代の「名残」だと最近は思っています。
特に日本が世界的に成長した分野である「自動車」などでは一部のクリエイトな考えを持つ人たちがイメージしたものを実現するために、「安定的」にそして「一定」の品質で生産することが求めらていたのだと思います。つまり、個々の特徴を活かすものではなく、ある意味「無」となってでもみんなと「同一」の能力が求められていたのではないでしょうか。
しかし、現在の日本は経済成長の指針となっているGDPも下位に位置しており、先進国とは呼べない状況となっています。そんな中で今後はグローバル化や社会の多様的な要求に対して応えていく能力が求められていると思います。その点からも柔軟性や個性を尊重する時代になっていく必要があると考えます。
こういった状況を考えると、不登校をただ登校させたいままでは、標準化されてしまっている学校教育に戻すことを進めているだけになってしまい、息子の今後を思うと、そんな社会に疑問を持ち、その波に流されるのではなく逆らって生きている姿は『応援』するものなのかもしれません。
義務教育を果たすことは親として「社会的」に求められることではありますが、「家族」として考えた場合に、完全にいまの教育に染まってしまうことももどかしい思いです。この葛藤が新たに生まれたことで一層どのように不登校と向き合っていけばいいのか。。まだまだわたし自身も成長して学んでいく必要があるようです。
家族のことで悩まれている方、同じように不登校で悩まれている方に少しでも共感やお役に立てると幸いです。
それでは。。。続きはまた!
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次回も気が向くままに
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