促す代わりに、親の私が解いてみる

いつもご覧いただきありがとうございます。『えでゅあ』です。
2023年、小学6年生の夏休み後から突如学校へ行くことができなくなり、不登校に息子がなってしまいました。そんな息子を理解し、一緒に解決策を探すために日々奮闘しています。この記事は自問自答を繰り返す毎日を私なりに形として残し、同じような悩みを持っている方と共有したいと思い執筆しています。
今週のハイライト
・言葉をかける代わりに、私が先に手を動かしてみた
・朝になって予定がわかった日でも、午前中の授業へ向かった
・夜のうちに、家族と一緒に学ぶ時間があった
・午後の授業に向かうため、送り出しの時間をつくった
今週の成長記録(データで振り返る)
| 曜日 | 出欠 | 活動の様子 |
|---|---|---|
| 日 | 朝に一度起きたあと休み、自宅でゆっくり過ごした。 | |
| 月 | ⭕ | 朝に予定がわかってから、午前中の3時間を学校で過ごした。 |
| 火 | 行けそうな授業があったが、この日は家で過ごした。 | |
| 水 | ⭕ | 午後から3つの授業に出席した。 |
| 木 | 自宅で休み、翌日の予定を自分で答えた。 | |
| 金 | ⭕ | 前日に答えたとおり、午前中を学校で過ごした。 |
| 土 | 自宅で過ごし、就寝が遅くなった。 |

まず私が問題の前に座ってみる
週のはじめ、息子は学習しようとしながらも、問題に向かうまでが遠そうでした。自分のこととして取り組んでほしいという願いは私の中にあります。それでも「やってみたら」と外から言うだけでは、本人が感じている始めにくさを知らないまま、こちらの望みだけを渡すことになる気がしました。
任せたいと思いながら、何もせずに眺めているのも違う。かといって、言葉を重ねれば動き出せるとも思えません。そこで、まずは私自身が、息子の向かおうとしている問題を解いてみることにしました。
同じ問題の前に座れば、どこで手が止まるのか、解き始めるまでにどれほど気持ちがいるのかを、少しは自分の側に引き寄せられるかもしれません。本人を机へ向かわせる方法を探す前に、自分が手を動かしてみる。そのほうが、今の私には確かめられることがあるように思えたのです。
これで何かが変わったのかは、まだわかりません。うまくいく方法を見つけたわけでもない。ただ、いざ自分が解く側に回ってみると、机に向かうまでにどれだけの時間がいるのかを、私は簡単には言えなくなりました。
直前にわかった予定でも、続かなかった日でも
月曜は事前に授業の予定を確認できず、当日の朝になって私が学校へ問い合わせました。これまでは、その日に知った予定では欠席することが多かったため、今日も難しいだろうかという思いが先に立ちます。それでも息子は行く気になっているようで、午前中の授業へ向かいました。
前もって見通しを持てたほうが選びやすい。その考えは、これまでの様子から大切にしてきたものです。ただ、直前にわかっても動ける日があったことで、私が握っていた前提が少しだけ緩みました。準備が整わなければ無理だと、親の側で先に決めなくてもよいのかもしれません。
翌日は、参加できそうに思えた授業があっても、本人は欠席を選びます。行けそうな日ほど、こちらの惜しさは強く出ます。それでも、その気持ちを本人へ向けないでおきました。私の側の落胆まで渡せば、次に選び直すことまで重くしてしまう気がしたからです。
水曜は午後から授業へ行き、木曜は自宅で休みました。朝の様子が悪くなくても、続けて向かうと疲れが出るのだろうか。理由を決めつけることはできないまま、「明日はどうする?」と私が尋ねると、息子は午前中の3時間に出席すると答え、金曜は前日に話していた形で学校へ向かいました。
答えを聞いた瞬間、私は安心しながら、それを次の日の約束として強く握りたくなる自分にも気づきました。けれど、その言葉を約束に変えてしまえば、答えた本人が翌朝に引き返せなくなる。そう思って、その場では言葉が返ってきたことだけを受け取り、翌朝を待つことにします。今週の動きは、整った予定だけで決まるほど単純ではありませんでした。

いつの間にか日常になった送り
水曜、午後から学校へ向かう息子の送りが必要になり、私は昼のあいだに一度、家へ戻りました。送り出しのために時間をつくることは、書けば短い一文です。けれど実際には、一日の流れを途中で組み替えることになり、親の負担は思っていたより大きいのだとあらためて感じます。
その一方で、以前なら特別な対応だと思っていたはずのことを、今ではいつもの予定として受け入れている自分もいました。大変ではなくなったわけではありません。負担だと感じる気持ちと、もう説明のいらない日常になっている感覚が、どちらも同じところにあるのです。
もっとも、送り出せた日があったからといって、毎日が同じように進むわけではありませんでした。今週も、送って学校へ向かった日があれば、自宅で休むと決めた日もあります。使える時間の形は家庭ごとに違うのだろうと思いますが、子どもの状態に合わせて親の一日のほうが先に動かされていく感覚は、形が違っても重なるところがあるのかもしれません。
送り出した日の残りは、いつもと変わらない顔のまま過ぎていきました。特別だったはずの動きが薄れていくことを、よかったとも少し寂しいとも決めきれないまま、私は次の日の予定を確かめます。
家で続いた時間と、まだかけていない言葉
学校へ行く日と休む日が混ざるなか、家で過ごす時間にも小さな続きがありました。ある夜には、家族みんなで同じ番組を観る時間があります。一つのことを同じ時間に楽しむ。それだけのことが、今の私には心地よく感じられました。
火曜の夜には、息子が家族に学習を教わっていました。前の週にも見た場面が、今週も一度あったのです。これをすぐに「続けられるようになった」とは言えないけれど、本人が家族と机を囲む時間を過ごしていたことに、私は少しだけほっとしました。
土曜は一日自宅でゆっくりと過ごしていました。平日の疲れが少しでも取れていればと思う反面、夜遅くまで起き、朝の動き出しも遅くなっていることは気にかかります。生活のリズムだけは整えるように話したほうがよいだろうか。そんな考えが浮かびました。
ただ、この時点ではまだ声をかけていません。休んだ一日をすぐに直すべきことへ変えてしまえば、本人が休めたかどうかを見る前に、私の心配を渡すことになるからです。次の流れも見ながら言葉を選ぼうと思い、気がかりを抱えたまま、その日は家で過ぎていきました。
親としての気づき
この週、家族がずっと同じ形で一緒にいられるわけではないという、その先のことをふと考えました。親というのは、子どもが一人で生きていける姿を見たとき、役目を終えるのかもしれない。別れを思ったわけではありません。
今の私にできるのは、子どもの代わりに答えを決めることでも、何もかも本人だけに任せることでもないのでしょう。声をかける日も、自分の手を動かしてみる日も、時間をつくる日もある。その都度、どこまで近づき、どこで離れるのかを選び直しているのだと思います。
いつか一人で歩く姿を思い浮かべることは、今すぐ手を離すことではありません。本人が自分で決める余地を残しながら、親も無理を重ねすぎない形を探すこと。その積み重ねが、先の暮らしへつながっていくのかもしれないと、今週は静かに考えていました。
まとめ
今週、学校で授業を受けたのは月・水・金の3日でした。朝になって予定がわかった日にも学校へ向かい、家で休むと選んだ日もあります。家族と学んだ時間や、ゆっくり過ごした週末まで含めて、一週間の形だったのだと思います。
来週は、いつもの教室を離れて行う活動も入ります。どのような形なら参加できるのか、まだ見通しは立っていません。3日を過ごせた安堵と、次の週をどう迎えるのだろうという気がかりは、どちらか一方にはなりませんでした。
先に答えを決めず、その日に選べる形を息子と探していきたいです。私自身も、自分にできることと抱えすぎていることを見分けながら、次の一週間へ進みます。
焦らず
比べず
奪わず
それでは。。。続きはまた!
このブログを読んでいただきありがとうございます。 この記事に対して何でも良いので、いいねやコメントをいただけると、とても励みになります。
こうやったら読みやすい、ここが心に残った、などもお待ちしています。
次回も気が向くままに。
Xアカウント
X(旧Twitter)アカウントはこちらです。 個性をお互いに認め、ありのままの自分で生きられる人を増やすため、日々模索しながら発信しています。
多くの人の力になりたいと思っています。
おすすめの書籍
個人的に読んで、マインドチェンジを生んだ名著を紹介します。
- なんのために自身が生きるのかわからない人、いまの仕事を続けていることに疑問を感じている人
- 仕事に追われて家族やそれ以外の時間が確保できない人、人生をどのように捉え生きていくか考えたい人
- 何か習慣にしようとして失敗した経験がある人、これから新しいことを習慣化したい人
- 親として解決の糸口が見えず不登校への不安な気持ちでいっぱいになっている人、自分自身を責めてしまっている人
- なんとなくの自信とは少し違う「揺るぎない自信」の正体とその身につけ方が学べます
- とにかく気づけば周りの行動を見てイライラしている自分がいる。そんな自分を変えるための視点を教えてくれます
※当ブログはAmazonアソシエイト・プログラムに参加しています。























