こんにちは!『えでゅあ』です。
現在、X(旧Twitter)を中心に「ありのまま」に生きられることを自らゼロから学び、フォロワーの皆様へ共有させていただく活動をしています。そんな私がいまにたどり着くまでの半生について、執筆しようと思います。
アカウントはこちら:https://twitter.com/free_edua
過去編
最初に自己否定をしてしまったのは小学5年生のときでした。前回のVol.1では、近況について、まとめました。今回は自己否定を初めてした「あの日」へ戻りたいと思います。過去を思い出しながら執筆しているため少し取り留めがないかもしれませんが、ご了承ください。(近況の続きは改めて記事にします)
※タイトルのみ変更されていますが、内容は前回からの続きとなっています。
前回の記事はこちら
異変
手術も終わり、リハビリ、そして抜糸、その後も毎月の検査を送り、経過も問題がないことから、定期検査も2ヶ月に1回、3ヶ月に1回と伸びていきました。そして元々大きくない身体も少なからず成長し続けていました。
ただ、ある時、ふと気づいたんです。
左足の太さ(ふくらはぎ)が右足と比べてなんか違う?
漠然としたもので私としてはまだ半信半疑でした。そのことを母親に伝えましたが、明確な回答もなかったので、次の定期検査へ。そこで担当医から告げられたのはこんな答えでした。
「実は僕も同じ病気で手術をしたんだ。そしてこの歳になっても普通に歩けてる。だから●●君も心配しなくてもいい。ただ、これだけは知っててほしい。」
その次に告げられたのはまだ理解できない内容でした。
「足の大きさがこれからどんどん差がでてくると思う。靴のサイズもきっとワンサイズは違うようになる。」
どうゆうこと??
術後ギブスをしたままリハビリを数ヶ月続け、ようやくそのギブスも外れ普通の生活を手に入れた。そして、動かしてなかったことから、右足と比べて若干「細く」なってはいることは薄っすらと気づいていた。ただ、これは瞬間的なものでいずれ解消されるのだと勝手に決めていた。理解ができないまま、ただ担当医の話を隣で聞く母親の少し悲しい表情だけが残っている。
担当医は自分の靴も見せてくれた。それは、約1センチ以上小さい靴だった。
「こんな感じでね、足の大きさが違うから大きい方の足に合わせて靴を買うと片方がブカブカなんだよ。だからいつも靴は2足買っているんだ。」
靴を買うときは2足買わないとダメ??はい??
イマイチ実感もないまま、その定期検診を終えて帰宅した。日々のリハビリ(家でできる運動)は続け、足首が固くならないように毎日運動した。
それは現実に
私自身も小学5年生が終わりに近づくことになると、6年生から歩いているとこんなことを言われたのを覚えています。
「お前の足ってなんで細いの?変じゃね?」
完全に傷つきました。覚えている限り人生で最大のショックでした。
これまでの過去は左足が少し内に向いて、意識しないとつま先が内側に向いてしまいよく転びそうになること以外、友達にも恵まれ、裕福ではないものの家族と一緒に過ごせ寂しい思いもなにもありませんでした。
まさか、手術をしたことでこんなことになるなんて全く想像もしていませんでした。確かに、気づけば自分でもはっきりと分かるぐらいふくらはぎの太さがかわってしまい、成長する右足に対して明らかに遅れはじめている左足。
なんで、なんで、なんで、自分だけこんなことに・・・
受け入れれない
それからは、短いズボンを履くことがストレスになっていきました。私の学校では当時「半ズボン」を履くことが通常で、「長ズボン」を履く子はある意味「変な子」のような扱いをされていました。(いまでは全く理解できないルール・・・)
頭の中では葛藤していました。「細い左足を隠したい。でも長ズボンを履くとへんな扱いを受ける。どうする・・・」
結局は「ハイソックス」を履くことで何となく隠せている状態で小学生を終えました。
そして中学生になり、さらにその劣等感は強くなっていきます。
この頃になると、足のサイズも1センチ近く差ができていました。当然買う靴は右足に合わせて買うため、左足のつま先には「遊び」が生まれ中に詰め物をしていたこともありました。
唯一救いだったのは、中学生は長ズボンが制服だったのです。
とにかく隠せ
小学校から市内の中学に進んだ私は、小学校からの同級生はもちろん、他校から新たに加わった人たちに囲まれ、生活の中で「この醜い左足だけは人に見せない」と決め、行動しました。
たまたま見られたときに「その左足どうしたの?」と毎回言われることが、私にとってある種「呪い」になっていました。「手術でね・・・」そう説明するのももう嫌でした。思春期にもなっていたので、特に女子からそう声をかけられることが特に嫌で、
「格好良くいたい。でもこのことを知られると幻滅されてしまう。嫌われてしまう。絶対に見られたくない。」
隠し続けますが、体育の授業だけは最悪でした。短パンではないものの、ハーフパンツ(膝上)を履かないといけない。(冬だけは長ズボンがOKでした。)そんな私がとった行動は、
年中長ズボンを履く
自分なりに自分を守るための小さな決意と行動でした。当然体育の担任からは毎回注意されました。
「なぜ履かない?どうして?」
その問に私は答えませんでした。理解してもらいたくない。どうせ長ズボンを履くことを認めてもらえる訳がない。いまでこそそういった「自由」が認められるようになり始めていますが、当時は許してもらえるはずもありませんでしたから。
体育の内申点は5段階でほぼ「2」
授業も休まず、参加し、運動能力テストでもそれなりに結果を出し、夏のプールだけは嫌で見学することもありましたがやるだけやっても評価は「2」、たかだか履いてる服装で低評価を受けるような、「運動」というものに興味がなくなったのもこの頃からかもしれません。
よく学生時代は何に夢中にやっていましたか?そんな質問を目にします。これに対して出てくる答えは、「誰かに誇れるような夢中にやってたことは思いつかない。むしろ自己否定的な日々だったため、とにかく人から良く見えるにはどうすればいいか?」そんなことだけを考えていました。私にとって中学校の思い出ってほんとに少ないんですよね、部活もほぼ帰宅部のようなものだったし、帰宅してからも勉強後はゲーム三昧でした。
夏場に短パンで歩く同年代の人をみて、「ただ羨ましい、夏なんかなければいいのに。」そう思っていました。(いまもいいなって思うときはあります)
この後、高校生になり、この左足を受け入れてくれる人がこの世界にはいることに気づき始めます。
更にここからは長くなりそうなので、、、続きはまた!
この記事に対して何でも良いので、コメントいただけると嬉しいです。
次回も気が向くままに