えでゅあ🎨の日常備忘録

今日も気ままにヾ(*´∀`*)ノ

挑戦と克服-自己否定を乗り越える道_VoL6

こんにちは!えでゅあです。

 

 現在、X(旧Twitter)を中心に「ありのまま」に生きられることを自らゼロから学び、フォロワーの皆様へ共有させていただく活動をしています。そんな私がいまにたどり着くまでの半生について、執筆しようと思います。

 

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近況編

 最初に自己否定をしてしまったのは小学5年生のときでした。前回のVol.1では、近況について、まとめました。今回は自己否定を初めてした「あの日」へ戻りたいと思います。過去を思い出しながら執筆しているため少し取り留めがないかもしれませんが、ご了承ください。

 

 前回の記事はこちら

edua.hatenablog.com

 

初社会人生活

 社会人になると学生時代の頃には見えなかったものが少しずつ見えはじめました。何を大切に大学生活を送っていたのか。そこには自分の中に強く「自立」という文字が浮かんできます。親はいずれ自分より先に居なくなる。これは余程がない限りは事実としてあります。小さな頃から「やれることは自分でやりなさい」と言われていました。だからいまも「頼る」ということが苦手です。ただそのおかげで「何でも自分でやってみる」という才能は飛躍的に磨かれてきました。だから就職するもの親へは一切相談せず、事後報告として伝えました。自分で選んだ人生だから、責任も全て自分で取る、誰のせいにもしない。

 そして、社会人になり見えてきたもの。そこには「かっこいい」や「かわいい」だけではない『評価』社会が待っていました。(私は製造業を専攻していた学科から選びました。「絶対それじゃないといけない。」そこまで強い思いはありませんでしたが、父親が電気に携わる仕事をしていたことから、自分もモノづくりをやってみようかな。程度でしたが無事就職することができました。)

 そこでは人の見た目とかそういったことは何も評価されず、ただ業務をどれだけ効率的にできるか。新しいことにチャレンジできるか。そういった人を評価していました。ある意味では「向いていた」といまになれば感じています。働き始めて「自分の左足を隠そう」とかそういった思いは完全に意識から消えていました。(たまに着替えの更衣室で人と出くわすと未だに「見られたくはない」と思いますけど)

 社会人1年目はとにかく夢中に生きられていました。どうやったらいまより仕事を早く進めることができるか。みんなに貢献したい!とかそういった思いではなく、ただただ没頭する日々。同じ製造品を完成させるのに2時間かかるのが「当たり前」を1時間に短縮、8時間かかるのが「当たり前」だったのを4時間に短縮、2日かかるのが「当たり前」だったのが1日に短縮、結構職場では煙たがられることもありました。

 

 「そんなに一生懸命やっても給与上がらないよ?時間外でプラスでお金もらえなくなるよ?

 

それでも全力でやる

 社会人2年目になると、そんな声ばかりが聴こえてくるようになっていました。それでも効率化できることが楽しすぎて、無視して改善を繰り返していました。仕事に入る前にはイメージトレーニング。どう機材を運んで、いくつネジを手に持って、レンチは何ミリと何ミリを持って、どこにボルトをいくつ置くか。使う材料、体の動き、全部を日々昇華させていく。ある意味「ゲームのように」楽しんでいた気がします。運良く同期にも恵まれ、彼も負けず嫌いなとこがあり、一緒に考え、創意工夫し二人で変えてやる!そんな日々でした。

 いくらでも改善するポイントが見え、早く帰って自分の時間を楽しみたい!帰りに寄るコンビニの弁当と白バラコーヒーが楽しみで、帰るとパソコンを立ち上げ、オンラインゲームをやっていました。(小さい頃からゲームが大好き!)

 

5年目

 ここまで来ると後輩もでき、教える時間を取りながら安定的にこなせるようになっていました。ただ、途中で「辞めていく人」を見ていると「このままでいいのか?」自然と頭をよぎり始めました。ただ、丁度この頃、結婚を機にして生活が大きく変わり始めます。我が家に子どもが産まれました。(不登校で現在苦しんでいる長男の誕生、このときいまの未来が来てることを誰が想像できたでしょう。)最高に幸せな瞬間で、より一層「頑張らないと」と仕事に励むことになります。

 しかし、中堅になり、仕事のプレッシャーも自ずと大きくなり始めます。「やらないといけないこと」が増え始め、元々好きだった効率化を考える時間はなくなり始めます。新しいことをやるのは実は「好き」ではありません。それでも「まずはやってみる」ことは得意だったので、何とかしのぐ日々が始まります。

 特に、シーケンス(機械を動かすためのプログラム)をオリジナルで作ることは楽しくもありましたが、余りに過酷な期日のため、残業時間が膨大になっていきます。朝は7時半には職場へ付き、帰宅するともう22時過ぎ。妻が用意してくれたご飯を食べると産まれたばかりの子どもと過ごすこともなく眠る。そんな日々を繰り返すうちに「何のために働いている?」という感情が芽生え始めます。 その頃の会社は福利厚生もままならず、扶養手当もない。(調べず入社した私が悪いんです)家族を養うために働く、生活費が足りないから残業も惜しまずやる。そんな生活をしていると、元々効率的にこなすことが好きだったはずが、生活のために「ムダな時間外をしなければならない」ことになってしまいました。気づけば入社当初に言われた「そんなに一生懸命やっても給与上がらないよ?時間外でプラスでお金もらえなくなるよ?」という負のループに自分自身がハマってしまっていることになっていました。

 

身体への負荷が限界に

 時間外労働が増えたこともあり、徐々に身体への負担が蓄積し睡眠時間も減っていたため体力も回復しない。(いま思えば当然ですよね、必死だったので気づけていませんでした)重い機材を持つと腕にも足にも負担がくる。左足を無意識にかばう右足に負担が余計にくる。そしてある出張の再中に人生で味わったことのない痛みが身体を襲いました。そうです「ぎっくり腰」になってしまったのです。その場にしゃがみ込み何が起きたか分かりませんでしたが、とにかく激痛と戦うことになりました。(結局人に迷惑をかけたくない思いでだまってその出張はやり過ごしました。)

 実は左足が小さい分、右足に比べて「かかと」も低いんです。つまり、直立すると、「数センチ足の長さが違う」のです。ぎっくり腰になってから意識し始めたので、この事実が身体にどれだけ負担をかけていたのか気づいてませんでした。

 ここから何が起きているかというと、「腰が傾いている」ことに気づきました。骨盤が曲がっている。中学生くらいから、ズボンが「曲がって履いている」ことが多々ありました。良く祖父から曲がってることを指摘され、それを祖母が「言わなくていい!」と祖父を叱っていたのが懐かしい。(どちらも亡くなってしまいました)昔からその傾向はあったのに、気づけていなかった。だから余計右足に負担がかかり、それは腰まで影響していたのでした。

 運良く、所属異動があり、重いものを持つ機械は減り、プログラミングがメインになったことから、デスクワークが増えましたが、完全に現場作業がなくなる訳ではなかったため、腰への負担はあまり軽減されていませんでした。家族を養っていくためには最低限の残業が必要、それだと身体への負担が厳しい。一旦忘れていた思いが完全に脳裏に蘇ります。「このままここにいていいのか?」ここから転職する決意を固めます。

 

 更にここからは長くなりそうなので、、、続きはまた!

 

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次回も気が向くままに

 

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